忌日・命日、そしてお盆のことーー君子には一生の間の喪がある |
今年のお盆も終わりました。
お盆といえば「生き御霊」(いきみたま)ということばを思い出します。
帰省なさるとき、両親のよろこぶ顔がみたくて、あれやこれやの、お土産を携えて実家に向かわれたことでしょう。
「生き御霊」は「生き見玉」ともかき、ご両親への「お土産」のことですね。も少し精確にその意味を「大辞林」でみますと、
「盂蘭盆会(うらぼんえ)に、健在の両親を、食物を贈るなどしてもてなすこと。また、盆の贈答品。生き盆」
とあります。季語で言えば、「秋」です。
読みは「いきみたま」ですが、このことば、最近では死語の感がなきにしもあらずですね。
そういえば、も一つ、気になることばがあります。
命日です。これも大辞林によりますと、
「故人の死んだ日に当たる日。毎月のその日、あるいは毎年のその日。忌日」
とあります。
命日、それはことばをかえて言えば「忌日」のことでもあります。
これまた「大辞林」よって「忌日」の意味をさぐってみましょう。
「きにち 」
①毎年または毎月の、その人が死んだ日と同じ日付の日で、回向(えこう)をする日。命日。きじつ。忌辰。②初七日より四十九日に至る七日目ごとの日。
ま、ふつうの説明があって、これ以上、加えることは何も無いのですが、忌日といえば、その字のせいもあるのでしょうが、何かと誤解をまねく意味にとらえかねられません。
これと似たことばに、「いみび」があります。
「忌日(いみび)、斎日……身を慎んで災いを避けるべき日。かつては、暦の悪日、親の命日、庚申(こうしん)の日などをいったが、のち、単に日常の仕事を休む日、縁起の悪い日と考えられるようになった」
人が亡くなると、「忌中」(家族が死んで、家人が慎んでいる期間)という札を門先に貼りつけてあります。
ここにも「忌」(忌む、とは、けがれを避けて慎む)の字がありますが、はたして、命日、忌日を、不祥の日(めでたくない日)、不吉の日の意味にとってのことでしょうか。
「礼記」(竹内照夫著「礼記」中)という書物に、それはそうではなく、
「君子に終身の喪有りとは、忌日の謂(いい)なり。忌日は用いず、不祥とするに非ざるなり。夫(か)の日、志至る所有りて、敢えて其の私(わたくし)を尽さざるを言うなり」
(「君子には一生の間の喪(も)がある」と言われるが、それは忌日(命日)のことを指すのである。すなわち忌日には日常の業をしないならわしであるが、それは不吉の日だからだと言うのではない。あの忌日という日には、わが心が一つの所にばかりゆくので、とても他の私事に心をこめることができない、と言うのである)
と。その日に何もしないのは、不吉・不祥だからではない。なき人を偲んで、わが心が、在りし日の故人を偲ぶことに専一している。であるから、あえて余事をしないまでである、と。
命日や忌日、そしてお盆も、そのためにあるのかもしれませんね。
「君子に終身の喪」ありです。我われも少なくとも、その期間は、祖霊をむかえ、忍び、また、ご先祖さまと共に過ごし、そして祖霊に見守られての今日のあることを、おもい、感謝するときなのかもしれんません。
お盆をむかえ、過ごして、そんな感懐をもった次第です。
ちなみに私ごとですが、父親は、うなぎが好物でしたので、その日は、うなぎの蒲焼きと、お酒を備えて、いっしょに晩酌をして偲ぶのが例年のことです。家族がそのお相伴にあずかるのはいうまでもありません。親を偲び、年に一度の贅沢を味わっています。
八月十九日